1.はじめに
日本では、2020年4月以降、自動運転のレベル3の公道利用が可能になりました。車両がレベル3で走行中、車内にいる人(Oといいます)、典型的には運転席に座っている人は、ハンドル操作等をする必要がなくなりました。他方で、自動運転を実現しているシステムがハンドル操作等を要求する(テークオーバー・リクエスト)と、Oが、これに応じる(テークオーバー)ことで、通常の(人間による)運転に戻ります。このように、レベル3は、テークオーバー前はレベル4の状態ですが、テークオーバー後はレベル2以下の状態です。
レベル3での走行が可能な車両を人間が運転していて起きた人身事故は、レベル2以下の通常走行中の事故ですから、その人間が、事故について法的責任を負います。他方で、テークオーバー前に人身事故が生じた場合、運転操作をしていなかったOが法的責任を負うのかは、難問です。テークオーバー前なので、車両はレベル4で走行しており、Oは運転を制御していないからです。この未解決の問題を正面から問うのが、レベル4で走行中の車両で生じるディレンマ問題です。次の事例で刑事責任について考えてみましょう。
2.レベル4で想定されるディレンマ状況―トロリー問題の具体化
2-1設例
レベル4で走行していた自動運転車の進行方向先にある横断歩道を、信号を無視して横断しようとしている3名の老人(男性2名、女性1名)がいた。自動運転システムは、同車が進行を継続すると彼らに衝突して死亡させることを認知した。そこで自動運転システムは、同車の進行方向を歩道側へと変更し、障害物に衝突して車両を停止させた。その結果、老人3名の死亡は回避されたが、自動運転車に乗っていた夫婦(2名のO。両名とも、上記老人3名より若い)が死亡した。遠隔から当該車両の走行を監視していた者には、システムによる進路変更を修正、阻止等する権限がなく、当該車両の運転者とは認められなかった場合、2名のO死亡という結果につき、誰が刑事責任を負うのか。
2-2検討
この設例では、自動運転車を販売した者(S)、製造した者(M)、システム(の中核であるアルゴリズム)を作成した者(AW)に、過失運転致死罪(自動車運転死傷行為等処罰法第5条)が成立しないかが問題になります。S、M、AWが、自動車運転システムの作動により、誰かがが死亡するかもしれないと漠然と思っていただけでは、殺人罪(刑法199条)の故意は認められません。他方で、過失運転致死罪の主体は運転者に限定されないので、Sらに同罪の成否が問われます。2名のOの死亡を引き起こした直接の原因は、アルゴリズムによるデータ処理ですから、AWの罪責が問われるべきでしょう。AWがアルゴリズムを作成しなければ、Oは死亡しなかったであろうと言えますので、AWによるアルゴリズム作成とO死亡という結果との間には因果関係が認められ、AWによる当該アルゴリズム作成は違法だと言えそうです。しかし、3名の死亡を回避するために、2名が死亡した場合、社会全体としては1名の生命が保護されたことになるので、緊急避難(刑法37条)が成立し、AWの行為の違法性は阻却されます。AWは違法な行為をしていなかったことになるので、次のステップ(違法行為をしたAWに、過失という責任の種類が認められるか)を検討するまでもなく、AWは無罪となります。
この説明は、緊急避難の根拠(行為功利主義)からの帰結ですが、違和感を覚える方もいるでしょう。それは、自動運転車により3名の老人が死亡の危険に晒されたとしても、この事態を避けるために、当該事態と無関係とも言える2名のOの生命を手段として用いるべきではない、と直感的に感じられるからだと思われます。この結論を支持する見解(義務論)は、カント哲学以来の有力な理解です。
自動運転車の事故につき刑事責任を問われるのであれば、AWはアルゴリズムを作成しなくなり、自動運転車が市場に提供されることもなくなります。他方で、自動運転車を利用できれば、人間の判断ミスに起因する死傷事故を激減でき、社会的効用は非常に大きくなります。いずれの立場が妥当でしょうか。自動運転システムは、より大きな損害を回避するため、衝突可能な人の数と各人の性別や余命可能性を算出して衝突対象者を決めるべきなのでしょうか。信号を無視した者は、年齢に関係なく、衝突対象とされてもやむを得ないのでしょうか。この問題は、国際的には激しく議論されていますが、日本での議論は低調です。
2-3展望
私自身の考えは、既に公表していますが、そうした専門的議論を知る前に、先ず、ひとりひとりが、自分がOになった場合とAWになった場合を想像して、どんな解決策がいいのかを考えることが重要でしょう。その後に、例えば、レベル4で走行する自動運転車だけの路線を確保し、衝突しても人が死亡しない程度の速度で走行させるが、誰かへの衝突が不可避となった場合の衝突対象選択は、事前に公的機関により決定しておく、という解決策が出てくるかもしれません。個人的には、そうした解決策がいいように感じていますが、社会全体での議論が必要です。その際には、レベル2以下で走行する伝統的車両に係る議論は、一旦、忘れて、ゼロベースで考え直さなければなりません。レベル2以下で起きる従来の事件と、レベル4でのトロリー問題群とでは、前提が異なっており、従来の(刑事)事件処理の発想は使えないのです。
