過疎化が進む地方部では、クルマを持たない人の移動をどうするかが問題になっている。労働人口が減り、バスは本数やルートを増やそうにもドライバーがいない。タクシーもしかり。そこで期待されるのが、遠隔操作を含めた無人の自動運転バスである。

けれど、無人のバスに一人で乗るのはちょっと怖い。子どもや若い女性はもちろん、高齢者だって、ひったくりや強盗など考えればやはり不安だ。「車内には監視カメラがついている」と言われても、警察が到着するまで時間がかかる。着ぐるみで変装した人に襲われたら、犯人逮捕にも時間がかかりそうだ。
そもそも、無人である必要はあるのだろうか。

伊那市の声を聞いて気づいたこと

2019年8月にSIP-adusで市民ダイアログを開催した伊那市役所の人と話をしていると、自動運転車両への住民の不安は、事故や故障などではなく「どうやってお金を払うのか」「乗り降りの手助けはしてくれるのか」といった、バスの運転手が担っている“運転”以外のことだそうだ。そう、自動運転は“運転”は代わってくれるけれど、そのほかのことはやってくれないのである。
車掌役が必要だと、伊那市役所の人は言う。

人が乗れば人件費がかさむという意見もあるけれど、二種免許が必要な運転手と、乗車補助をする車掌とでは人件費(養成費を含め)は格段に違う。それに、SIP-adusサービス実装推進WG主査である東京大学の大口敬氏によると、「ただでさえ過疎化が進むのに、バスまで無人にするとさらに過疎化が進む」と過疎地域の人が心配する声もあるという。

伊那市役所の人は、「スーパーマーケットやインターネットなどで生活が便利になると、逆に人と人のつながりが希薄になることがある。自動運転バスに車掌を載せることで、地域の見守りにつなげ、失われた人のつながり、助け合いの気持ちを取り戻したい」とまで言う。

こういう話を聞いていると、人が求めているのは、単にバスを運転する自動機能だけではないのだと感じる。バスが動くことによって、人が動き、人が出会い、つながりがもてる。これこそが自動運転がもたらす効果であり、本当の目的なのだと思う。